今日の朝方
東京へ戻りました
昨日は宮城と岩手の県堺近く、登米市にあるcafe GATIへと足を向けました。
cafe GATIは毎年、夏の準備に入る6月に「森波」というフェスを隣町の南三陸町との境にある山の中にて行っています。
あの辺り特有の、ゆったりとした時間の流れ、鳥の鳴き声と共に、キャンドルを燈し、音を奏でて、それはそれは本当に平和なフェスを行っていました。
今年は残念ながら開催出来ません。
でも必ず、また来年には開催できるようにと。
そんな話を。
隣町、南三陸町にはしずがわという川が流れていて、先日の津波の時にはその川を延々と逆流、川あいにある住宅、お店などほぼすべてが波に呑まれました。
お察しの通り、あの辺り、三陸の海沿いの街の収入源の中心は漁業。
その海からあずかった海の恵をまわりの市町村と分け合って経済がなりたっています。
しかし、今回の震災により家も家族も、今後復興にむけて必要な職も、失ったひとは大多数をしめています。
これは南三陸町に限った話ではなく、僕が小さな頃から馴れ親しんだ岩手の沿岸部の街の生き残った大多数の人も同じ状況に置かれているのが現状です。
復興むけて生計を建てるには職が必要となります。
時間が経つに連れて段々と仮設住宅に移る家庭も増えてくるのが予想される今、仮設住宅に移った後に生活をしていくための職が必要なのです。
現地に行くとまず目に飛び込んでくるのは無くなった街です。流された家と流されなかった街は、神様の悪戯なのか、本当に紙一重で、、あと50センチずれて家が建っていたら流されていた。。
というような、本当に僅かな差で人の命がわけられたようです。
街を無くした今、現地では職の受け入れ先が必要となっています。復興に向けた職業もまた一つの選択肢、または遠方に移っての就職もまた一つの選択肢となるでしょう。
このような状況に置かれている家庭が岩手の北部の三陸の海から、南は福島の方まで延々と続いています。
サーフィンが盛んに行われていた気仙沼、仙台新港、ほか沢山の海に関わる仕事も同じ状況です。
今後、職を失った方に対する、こうした仕事に関するサイトが作られていくと思うので、また情報が入り次第、ここのBLOGでもUPしていきたいと思います。
東北に職を失った知り合い、ご家族がいる方へ少しでも力になれるようにと思います。
微力ながらよろしくお願いします。
みなさんにはその情報をさらに自分の知り合いへと拡げていただけると嬉しいです。
文頭で話した、、登米市。
山を一つ隔てて、この街は農業の盛んな街です。
そして、「GATI」
このお店では
農MUSIC 農LIFE
と称してお店に集うミュージシャンや仲間のみんなでお米を創って流通しています。
その名も、、
「TOME」
当たり前の様に、これからますますこうした生き残った内陸部の街へ、今度は経済の不況の波が襲ってきます。
そこで、このお米をGATIにアクセスして通販で買うことも一つの遠方支援と考えています。
音楽に関わる人口の多いこの街で創った
「TOME」
はレコードボックスサイズ、CDボックスサイズ等の箱に入れられて売られています。
かなりおっしゃれーなこのお米も是非皆さんにチェックしていただきたいと考えています。
Google検索で、「TOME」、もしくは,「cafe GATI」で調べることが出来ます。
是非、少しでもこうした支援をお願いしたいです。
重要な味の方は、、、
もちろん自信有り!です!
俺が言うのもなんですが。。
是非一度検索をお願いします!!!!!